ヘルムホルツの自由エネルギー(2)

ヘルムホルツの自由エネルギーがなぜ「自由」エネルギーと呼ばれるのかについて押さえておきます。


前回、系は等温等積という条件をつけていましたが、今回は等積という条件を外します。すると、前回の式(6)

\Delta{U}=\Delta{Q}+\Delta{W}              (6)

\Delta{W}=0にはなりません。そこで、式(6)を変形して、

\Delta{Q}=\Delta{U}-\Delta{W}                 (11)

とします。これを式(5)

T\Delta{S}-\Delta{Q}{\ge}0                  (5)

に代入すると

T\Delta{S}-\Delta{U}+\Delta{W}{\ge}0

となり、ここから

-\Delta{W}{\le}T\Delta{S}-\Delta{U}              (12)

よって

-\Delta{W}{\le}-\Delta{F}                   (13)

となります。ここで、-\Delta{W}は系から取り出される仕事を表します。式(13)は、系から取り出しうる仕事の量には上限があり、その上限は自由エネルギーFの減少分である、ということを表します。つまり、内部エネルギーの減少分\Delta{U}がそのまま仕事-\Delta{W}になるのではなく、取り出せるのはFの減少分です。よってFは、外に取り出し得るエネルギーという意味で自由エネルギーと呼ばれているようです。


しかし、私には疑問な点があります。内部エネルギーの内訳として、仕事に使えるエネルギー(=自由エネルギー)と使えないエネルギーがある、という説明ならば自由エネルギーという用語名は私にはしっくりくるのですが、もし、自由エネルギーの減少分のほうが内部エネルギーの減少分よりも大きいことがあるのならば、この用語名はあまりしっくりこない、というものです。というのも式(12)においてT\Delta{S}が正の量となる場合(エントロピーが増大する場合)があるのではないか、と思うからです。もし、T\Delta{S}が正の量であるならば、自由エネルギーFの減少分は内部エネルギーUの減少分より大きいことになってしまいます。これでは内部エネルギーの減少分のうち一部しか仕事に変換出来ない、とは言えないのではないか、と思います。


しかし、この問題は保留にして、フリストンの自由エネルギー原理で提唱されている変分自由エネルギーの検討にすすみたいと思います。