ヘルムホルツの自由エネルギーがなぜ「自由」エネルギーと呼ばれるのかについて押さえておきます。
前回、系は等温等積という条件をつけていましたが、今回は等積という条件を外します。すると、前回の式(6)
(6)
でにはなりません。そこで、式(6)を変形して、
(11)
とします。これを式(5)
(5)
に代入すると
となり、ここから
(12)
よって
(13)
となります。ここで、は系から取り出される仕事を表します。式(13)は、系から取り出しうる仕事の量には上限があり、その上限は自由エネルギーの減少分である、ということを表します。つまり、内部エネルギーの減少分がそのまま仕事になるのではなく、取り出せるのはの減少分です。よっては、外に取り出し得るエネルギーという意味で自由エネルギーと呼ばれているようです。
しかし、私には疑問な点があります。内部エネルギーの内訳として、仕事に使えるエネルギー(=自由エネルギー)と使えないエネルギーがある、という説明ならば自由エネルギーという用語名は私にはしっくりくるのですが、もし、自由エネルギーの減少分のほうが内部エネルギーの減少分よりも大きいことがあるのならば、この用語名はあまりしっくりこない、というものです。というのも式(12)においてが正の量となる場合(エントロピーが増大する場合)があるのではないか、と思うからです。もし、が正の量であるならば、自由エネルギーの減少分は内部エネルギーの減少分より大きいことになってしまいます。これでは内部エネルギーの減少分のうち一部しか仕事に変換出来ない、とは言えないのではないか、と思います。
しかし、この問題は保留にして、フリストンの自由エネルギー原理で提唱されている変分自由エネルギーの検討にすすみたいと思います。